「あ、あの……」
 と、あやめは扉の外の男に声をかけようとした。

 しかしその時、誰かがアパートの階段をのぼって
くる。
 ひとり、いや、ふたりか。

「なにしてるんだね?」
 外で中年の男の太い声がした。スーツ男に話しか
けている。
「いや、ちょっと営業を……へへ」
 スーツ男はやけに低姿勢で答えた。

「ここの部屋の子なら今は学校だよ。用があるなら
伝えておこうか?」
 中年男が少し威圧的に言うと、
「えっ? そ、そうだったんスか。それはどうもさ
ようなら……」
 スーツ男はカンカンと階段を素早く降り、逃げる
ように去って行った。

「やれやれ、最近この辺にもああいうのが多くて困
るね」
 中年男はつぶやいた。恰幅のいい彼は、確かこの
アパートの大家だ。
「まぁ、もし何かあったら私のところにでも連絡を
くれれば……ああいう手合いの相手は得意ですから」
 大家は、もうひとり――背の高い、夏だと言うの
に黒いコートをまとった男に言った。

「じゃ、部屋のほう確認してください」
 ふたりは隣の空き部屋に向かったようだった。

 あやめは胸を撫で下ろした。押し売りをはね除け
る程の度胸があるかどうか、自信がなかったから。
 何か、偶然に助けられたのかも知れなかった。

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